港区八幡屋商店街
母の死が未だ、信じられず、ショックが、尾を引いた
まま、呆然としている自分がいる。
老母の葬式を終わらせてから、1日だけ、大昔に
住んだ所で老母を偲んだ。
小学校6年に転校するまでは、大阪市港区八幡屋の
4畳半一間のアパートで、5人家族が暮らした。
しかし狭くて、夏は、当時まだクーラーが無く、
扇風機とうちわだけで非常に寝苦しかった。
ただ近くの河の川風は涼しかった。
その当時の町並みを、淡い記憶をたどり、歩いた。
残っているのは、新しくなった小学校の校舎。
そして、貧乏で幼稚園など行く余裕も無く、
毎日自然と戯れていた、野原や三十間堀。
当時、写真のような商店街のアーケードがなく、
商店街の中心にひときわ大きな「いくお呉服店」
が有った。
その周りに小さな商店がならんでいた。
大昔その前の通りを、夜店が沢山出て、両親に
連れて行ってもらった。
鉄人28号とか、鉄腕アトムとかが連載されて
いたボロボロの「月刊誌少年」などを買い、
夢中で読んだ。その夜店の白燈を思い出す。
その当時の商店街の面影は何もなかった。
ただ、近くの電気屋のおばさんに尋ねてみると、
「いくお呉服店」さんは、まだ営業していると聞いて
非常に嬉しかった。
その呉服店の美しい娘さんと小学校同級生だった。
その当時、淡い恋心があったのかもしれない。
いろいろ心に浮かんでくる思い出を振り払い
八幡屋を後にした。
商店街アーケードの表玄関
商店街アーケードの裏玄関
母と来て うらびた夜店の 白灯に 飛び来るこがねは セピア色かな
まま、呆然としている自分がいる。
老母の葬式を終わらせてから、1日だけ、大昔に
住んだ所で老母を偲んだ。
小学校6年に転校するまでは、大阪市港区八幡屋の
4畳半一間のアパートで、5人家族が暮らした。
しかし狭くて、夏は、当時まだクーラーが無く、
扇風機とうちわだけで非常に寝苦しかった。
ただ近くの河の川風は涼しかった。
その当時の町並みを、淡い記憶をたどり、歩いた。
残っているのは、新しくなった小学校の校舎。
そして、貧乏で幼稚園など行く余裕も無く、
毎日自然と戯れていた、野原や三十間堀。
当時、写真のような商店街のアーケードがなく、
商店街の中心にひときわ大きな「いくお呉服店」
が有った。
その周りに小さな商店がならんでいた。
大昔その前の通りを、夜店が沢山出て、両親に
連れて行ってもらった。
鉄人28号とか、鉄腕アトムとかが連載されて
いたボロボロの「月刊誌少年」などを買い、
夢中で読んだ。その夜店の白燈を思い出す。
その当時の商店街の面影は何もなかった。
ただ、近くの電気屋のおばさんに尋ねてみると、
「いくお呉服店」さんは、まだ営業していると聞いて
非常に嬉しかった。
その呉服店の美しい娘さんと小学校同級生だった。
その当時、淡い恋心があったのかもしれない。
いろいろ心に浮かんでくる思い出を振り払い
八幡屋を後にした。
商店街アーケードの表玄関

商店街アーケードの裏玄関

母と来て うらびた夜店の 白灯に 飛び来るこがねは セピア色かな